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大阪地方裁判所 昭和56年(わ)458号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【説明】

刑法二四〇条の強盗傷人罪については、最高一小判昭24.3.24(刑集三巻三号三七六頁)などがあり、同判決は、「強盗傷人罪は、強盗たる身分を有する者が強盗の実行中又はその機会においてその手段たる行為若しくはその他の行為に因り人に傷害の結果を発生せしめるにより成立する強盗罪と傷害罪との結合犯である。」としているように、強盗の機会に傷害を負わせれば強盗傷人罪の成立を認めるのが判例の立場である。もつとも、強盗の機会といつても、強盗の実行行為とどのような関係にある行為までを含むのかについては、必ずしも明確でないことから、この点が争点とされるものが多く、最高二小決昭34.5.22(刑集一三巻五号八〇一頁)などの事例がある。本件も、この点が争われ、強盗の機会に加えられた傷害であることが肯定された一事例であり、その結論は妥当である。

右のほか、本件では強盗罪の成否そのもの及び被害者の反撃とその反撃に対する緊急避難の成否についても判示されており、この点においても参考になるものと思われる。

【主文】

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

【判旨】

第一事実

被告人は、本籍地の中学校を卒業したのち、神戸市内で工員や作業員として働いていたが、昭和五〇年二月ごろ交通事故に遭つたため本籍地に戻つて療養し、その後は自らは鹿児島市で建設会社の現場監督をし、妻も同地で化粧品店を開くなどしていたが、結局約一五〇万円もの借財を作り、昭和五五年二月ごろ妻とともに大阪に転居し、同年三月から摂津市鳥飼下三丁目六番一〇号所在の野崎建設株式会社に職を得て大工として稼働し、妻も化粧品会社の外交員をするなどしていたものの、前記の借金や自動車購入によるローン等の支払いに追われてその家計は苦しかつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年一月二一日、会社の作業を終つてのち、同僚の喜多末文を誘つて摂津市千里丘のキャバレーなどで飲食遊興し、当時軽自動車に買替えるため同人に売却しようとしていた自動車の内金として受け取つた二万円の大半を費消してしまつたことや、その日自動車が何人かに傷つけられたことからいらいらした気分になつていたところ、

一、同日午後一〇時三〇分ごろ、右キャバレーを出て喜多とともに自己の乗つてきた自動車の駐車場所に向い、同市千里丘一丁目五番二〇号先路上まで来た際、被告人を追い越して前方へ歩いていつた岸本健司(当時三三歳)が追い越しざまに横目で被告人を見たのを、自己を見下したものと速断して腹立ちを覚え、同人を難詰しようとしてその背後から「おい、こら」といつて背広上衣の襟首をつかんだところ、振り向いた同人が後ずさりしながら逃げようとしたはずみに右背広上衣が脱げて被告人の手中に残り、同時に同人から「泥棒、泥棒」と大声で叫ばれるや、とつさに「もしかしたらこの背広上衣の中にお金が入つているかも知れない。」と考え、右背広上衣を領得しようとの意思を生じて、即時同所から右背広上衣を持つたまま約二〇メートル離れた右自動車駐車場所まで走つて同車に乗車し、直ちに車を発進させ逃走してこれを持ち去り、もつて前記岸本所有のネクタイ、印鑑等在中の背広上衣一着(時価合計七、四〇〇円相当)を窃取し

二、前記場所から右自動車で逃走中、同日午後一一時ごろ、大阪市淀川区東三国二丁目一番一三号先路上にさしかかつた際、車中から同所を通行中の小柄な有馬利忠(当時四六歳)の姿を認めるや、前記のごとく先に背広上衣を奪つたものの現金は在中せず、また簡単に背広上衣を奪うことができたことから、今度は同人から現金をその着衣ごと強取しようと企て、右自動車から降りて後方から同人に近づき、道路の片側が国鉄東海道本線の線路に面し当時他に人通りのなかつた同区東三国二丁目二番一九号先路上において、いきなりその背後から「おいこら、待て」と声を掛けるなり同人の頭部を手拳で二、三回殴打し、逃げようとした同人の着用するジャンパーの背中あたりをつかんで強く引き寄せ、これをめくり上げて同人の頭にかぶせ、その前方に回つて腹部を数回膝蹴りにするなどして反抗を抑圧したうえ、その所有にかかる現金一、一〇〇円、アパートの鍵等在中のジャンパー一着(時価約五〇〇円相当)をむりやりに脱がせて同人からこれを強取し、同所から立ち去ろうとして小走りに歩きはじめたところ、すぐさま右有馬が右ジャンパーを取り返すため角材(長さ約一二〇センチメートルのもの、昭和五六年押第一四二号)を拾つて「泥棒や、強盗や」と叫びながら追跡してきたのを認めるや、右強取場所から約一二〇メートル余り離れた同番六号先路上において、右追跡を免れようとして同人の顔面めがけて右ジャンパーを投げつけたところ、これをふり払つた同人から前記角材で頭部を一撃され、さらに首や肩を殴られたため、同人に体当りしてその場に転倒させて右角材を奪い取つたうえ右角材で同人の背部、腰部等を二、三回殴打し、腰部、脚部等を二、三回足蹴にするなどの暴行を加えたうえ、再び右ジャンパーを拾つて逃走したが、右の暴行により同人に対し加療約三週間を要する右第三腰椎横突起骨折等の傷害を負わせ

たものである。

第二弁護人の主張等に対する判断

弁護人は判示第二の事実につき、被告人は財物奪取に当つては、被害者の反抗を抑圧するに足るような暴行を加えていないから、右は単なる窃盗罪に当るにすぎないし、また傷害の点も、それは被告人が被害者に盗品を返還したにもかかわらずかえつて同人から角材で殴打されたため、自己の生命身体に対する危難を避けるために止むをえず反撃に出たことによるものであつて、緊急避難に当る旨主張するので判断するに、

一まず財物奪取のためになした暴行の点についてみると、その関係証拠、ことに有馬利忠の当公判廷における供述によれば、その暴行は判示のとおりの態様及び内容であつて凶器等は使用していないものの、頭部や腹部に対する暴行はやにわに加えられた相当強度のものであり、そのうえジャンパーを引張つたりすることによる逃走、抵抗等に対する抑圧力もかなり強力なものであつたことが認められ、これに加えるにその犯行時間や場所及び被告人と被害者との体格、年齢等の相違の点を総合すると、被告人の右暴行は優に被害者の反抗を抑圧するに足りるものであつたと認められるから、被告人の判示財物奪取行為は窃盗罪ではなく強盗罪に当るものといわなければならない。

二次いで傷害の点について判断すると、その部位、程度をみれば、右強取行為の際のものではなく、被告人が被害者と相互に角材で渡り合つた際被告人の角材と足蹴による攻撃によつて生じたことが明らかであるところ、右の傷害を加えたのは、判示のとおり被告人が強取した後、すぐ被害者から追跡を受けて強取の現場から一二〇メートル余り逃走した地点において、右追跡を免れるためになしたものであり、さらに関係証拠によれば、被告人は被害者に対し判示のとおり攻撃を加え打撃を与えた後、一旦被害者に投げつけたジャンパーを再び拾つて逃走した(被告人が右ジャンパーを放棄遺留したのは右現場からさらに一八メートル余り逃走した地点である。)ことが認められ、本件の強取行為とその後の逃走状況、被害者の追跡と攻撃の経過など一連の行為を、その時間的場所的関係からこれを全体として観察すると、右傷害を加えた際には被告人の強取行為そのものは未だ完了したものとは認め難く、結局本件の傷害は前記強盗の機会になされたものといわなければならない。

三最後に右の傷害行為が緊急避難に当るとの弁護人の主張について判断すると、被告人の当公判廷における供述及び司法巡査作成の昭和五六年五月六日付報告書によれば、被告人がまず有馬から前記角材で頭部に一撃を受け長さ約五センチメートルに及ぶ頭部挫創(四針縫合)の傷害を負つて出血し、さらに引続いて角材で殴打される等の暴行を受けたことは弁護人所論のとおり認められるが、判示のとおり被害者の右攻撃は、ジャンパーを強取された同人が、体格体力とも優る被告人からこれを取還しようとした際に行つたものであるところ、これに対して被告人のなした暴行は、被害者を転倒させたうえ角材を奪い取り、被告人への攻撃の終了した段階に至つてからのものであることに徴すると、被告人の本件傷害行為は危難の現在性の点においてすでに緊急避難の要件を欠くうえ、緊急避難行為として観察したとしても、右の状況下で、しかも有責自招の危難に対するものとしては手段の相当性を欠くといわなければならないから、弁護人のこの点の主張はとうていとるを得ない。

以上弁護人の主張はいずれも採用できず、被告人の判示第二の所為は結局強盗傷人の一罪をもつて論ずべきである。

第四法令の適用

被告人の判示各所為中第一の所為は刑法二三五条に、第二の所為は結局一罪として同法二四〇条前段、二三六条一項に各該当するので判示第二の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限にしたがい法定の加重をし、なお後記の犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(西村清治 國枝和彦 太田善康)

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